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岡山地方裁判所 昭和56年(わ)454号 判決

本店の所在地

岡山県倉敷市神田三丁目一番三七号

法人の名称

株式会社水島土木工業

代表者の住居

岡山県倉敷市神田三丁目一番三七号

代表者の氏名

赤沢次郎こと

千甲童

国籍

韓国(慶尚南道固城郡東海面陽村里)

住居

岡山県倉敷市神田三丁目一番三七号

会社役員

赤沢次郎こと

千甲童

一九二四年一二月三日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官小西俊雄出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告会社を罰金四〇〇万円に、被告人千甲童を懲役八月に各処する。

被告人千甲童に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

差戻前第一審、控訴審及び当審における訴訟費用は被告会社と被告人千甲童の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告会社は、当時株式会社水島土木の名称で岡山市岡町六番八号に本店を置くとともに、岡山県倉敷市明神町四番五〇号に営業所を設けて埋立や造成工事等の事業を営むもの、被告人千甲童は、被告会社の代表取締役として業務全般を統括しているものであるが、被告人千甲童は、被告会社の業務に関し、法人税を免れる目的をもって、

第一  昭和四三年一〇月一日より昭和四四年九月三〇日までの事業年度における被告会社の総所得金額は七、七四〇万二、二三九円で、これに対する法人税額は二、六六四万四、八〇〇円であるのにかかわらず、架空の外注費、修繕費等を公表帳簿に計上して真実支払をしたごとく装い、簿外となった現金を架空名義の預金にするなどしてその所得を秘匿したうえ、昭和四四年一二月一日、岡山市天神町三番二三号岡山税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は一、四九一万一、七四六円で、これに対する法人税額は四七八万〇、二七〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により法人税二、一八六万四、五三〇円を逋脱し、

第二  昭和四四年一〇月一日より昭和四五年九月三〇日までの事業年度における被告会社の総所得金額は二、二五三万五、四〇三円で、これに対する法人税額は七七三万七、三〇〇円であるのにかかわらず、架空の外注費、修繕費等を公表帳簿に計上して真実支払をしたごとく装い、簿外となった現金を架空名義の預金にするなどしてその所得を秘匿したうえ、昭和四五年一一月三〇日、前記岡山税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は七九七万七、五五八円で、これに対する法人税額は二三九万八、五八〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により法人税五三三万八、七二〇円を逋脱し

たものである。

(証拠の標目)

一  被告人千の当公判廷における供述

一  差戻前第一審の第二ないし第四回、第六ないし第九回、控訴審の第三ないし第五回及び当審の第七ないし第一四、第一六、第一七回各公判調書中の被告人千の供述部分

一  被告人千の大蔵事務官に対する質問顛末書八通及び検察官に対する供述調書四通

一  差戻前第一審の第二一回公判調書中の証人横山秀雄の供述部分

一  差戻前第一審の第二〇回公判調書中の証人松浪節雄の供述部分

一  差戻前第一審の第二九回公判調書中の証人中原祐一郎の供述部分

一  差戻前第一審の第三〇回公判調書中の証人鄭大化の供述部分

一  岡本祐二郎(三通)、小柴光作(二通)、朴栄の検察官に対する各供述調書

一  坪田登美男(二通)、小早川清、河本相夫、伊藤睦美、山村俊一、清水登春、中尾亮、野瀬茂、岡本達子、橋本登之子、中山征夫、赤沢洋子(他一名)、小池肇作成の各上申書

一  長田亘弘作成の回答書

一  森本昇、川崎勉、栗山勝造、小野忠作の各答申書

一  秋田幸彦、藤井清、間野明、松永茂(二通)、松井敬治(三通)、秋山昌之作成の各証明書

一  大蔵事務官作成の調査事績報告書及び「預金等調査表の送付について」と題する書面

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書二通

一  登記官作成の登記簿謄本

一  当審で押収してある元帳一綴(昭和五六年押第一〇九号の一、以下、符号のみをもって示す)、総勘定元帳二綴(符号二、五二)、支払集計帳一綴(符号三)、振替伝票四綴(符号四、五、六〇、六一)、車両土量検収票二箱(符号六、七)、納税申告資料一袋(符号八)、領収書請求書綴一四綴(符号九ないし二一、八三)、経費関係書類綴一袋(符号二二)、車両集計表一綴(符号二三)、請求書綴五綴(符号二四、二五、四九、九四、九五)、車両請求書綴二三綴(符号二六ないし四八)、精算書一袋(符号五〇)、領収書綴一綴(符号五一)、売掛帳一冊(符号五三)、買掛帳一冊(符号五四)、作業明細書二綴(符号五五、五六)、運賃その他支払書一綴(符号五七)、請求書一綴(符号五八)、請求書控一冊(符号五九)、法人税決議書一綴(符号六二)、精算書綴一綴(符号六三)、賃金台帳二綴(符号六四、六五)、総勘定元帳一冊(符号六六)、小切手一四枚(符号六七ないし七九)、伝票二綴(符号八〇、八一)、領収書控一冊(符号八二)、一般車両支払明細表一袋(符号八四)、メモ一枚(符号八六)、定期預金保管メモ一枚(符号八七)、定期預金明細一枚(符号八八)、取引先カード一四枚(符号八九)、定期預金利息計算書一袋(符号九〇)、通知預金元帳一袋(符号九一)、工事註文書綴一綴(符号九三)、回答書二通(符号九六、九九)、中村次郎個人普通預金口座元帳写一綴(符号九七)、株式会社赤沢建設普通預金口座元帳写一綴(符号九八)、預金及び利息証明書一枚(符号一〇〇)、定期預金受入証明書一枚(符号一〇一)、預金調査表一枚(符号一〇二)、預金預り証四通(符号一〇三ないし一〇六)、定期預金証明書一枚(符号一〇七)

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らの主張は多岐にわたっているので、その主要な点につき、以下、判断を示しておく。

第一法律関係

一  修正申告ないし更正決定の効果について

所論は、被告会社は昭和四四年九月期及び昭和四五年九月期の各確定申告による過少税額について修正申告をし、また、所轄税務署長の更正決定がなされているのであるから、その結果として、本件逋脱罪は成立しない、というのである。

しかしながら、被告会社が右各期において虚偽の過少申告をして納期限を徒過している以上、逋脱罪は当然に成立し、その後に修正申告ないし更正決定があっても、それは犯罪の成否に影響を及ぼすものではない(最高裁判所昭和三六年七月六日第一小法廷判決・刑集一五巻七号一〇五四頁参照)。

二  本件起訴と課税権との関係について

所論は、被告会社に対する昭和四四年九月期及び昭和四五年九月期の課税権は現在既に時効により消滅しているから、課税権の存在を前提とする本件起訴は成立し得ない、というのである。

しかしながら、本件起訴は関係法規に則って逋脱罪の罰則の適用を求めているのであって、行政処分である課税権の行使となんら関係があるものではない。

三  逋脱所得金額の立証方法について

所論は、検察官が本件逋脱所得金額を立証する方法として損益法のみを用い、財産法を全く用いていないのは違法である、というのである。

しかしながら、検察官が税法の計算規定に従った所得の計算方法である損益法によって本件逋脱所得金額の立証が可能であるとする以上、財産法を用いないこと自体を違法視することはできない。

第二事実関係

一  収入除外金について

所論は、昭和四四年九月期において秋田組からの2回にわたる工事収入二一万八、〇〇〇円と一四万〇、二〇〇円、昭和四五年九月期において大藤建設企業株式会社からの工事収入一九万六、〇〇〇円及び秋田組からの工事収入二四万七、八五〇円が計上されていないことにつき、これは単なる記帳もれにすぎない、というのである。

しかしながら、右各期において被告人千が脱税の意図を有していたことは証拠上疑いを入れないところ、右各工事収入は被告会社にとって小口であるとはいえ、当時においては現在に比べるもなく多額であり、その多寡の点からは勿論のこと、記帳もれと称するその回数の点からみても、単なる帳簿の付け落ちと認めるのは当を得ていない。のみならず、被告会社の経理担当者である岡本祐二郎が、検察官に対し、「被告人千は、発注先から集金してきた場合、いったん奥の家の方に持って入られてから会社に持って来ており、私としては、事前に未収になっているという連絡も受けていないし、集金したことも知らなかった」旨供述し、また、「被告人千は、金には非常にきちょうめんな人であり、なんでも自分でされていましたので、私らにはどうなっているのか分かりませんでした」旨述べていることに徴するときは、被告人千が秋田組等から集金した工事収入金を経理担当者に渡さないで故意に除外していたとみるのが相当である。右各工事収入はわざと除外したものではないとする被告人千の弁解はたやすく支持し得ない。

なお、念のために付け加えておけば、所論のように、仮に被告人千において右各工事収入に脱税の認識を欠いていたとしても、個々の勘定科目については脱税の概括的認識があれば故意は全部に及ぶのであるから、先に示したとおり、被告人千に脱税の意図があった以上、右各工事収入の点について故意の成否に影響を及ぼすものではない。

二  架空外注費について

(一) 小柴建設関係

所論は、小柴建設の関係で昭和四四年九月期に計上している四、九九九万八、二二〇円、昭和四五年九月期に計上している六一九万六、二五〇円の各外注費は架空ではなく、実在の外注費である、というのである。

しかしながら、被告人千は検察官に対し小柴建設関係で多額の架空外注費を計上していたことを自認しており、それを裏付ける岡本祐二郎の検察官に対する供述が存するところ、右各外注費が架空であることは、何よりも、小柴建設が被告会社に宛てた請求書及び領収書、小柴建設で保管していた請求書控、小柴建設が行った工事の名称を記載した作業明細書の存在及び小柴光作の検察官に対する供述によって明らかに認めることができる。すなわち、右小柴は、検察官に対し、「被告人千に頼まれて架空経費の計上に協力したことは間違いなく、その金額は国税局の調査のとおりである。架空分の工事名等は被告人千がメモ紙に書いて決めてきたもので、実際に仕事をしていないのであるから嘘ということはすぐ分かる。銀行へ金を引出しに被告人千と一緒に行ったのが一、二回で、あとは被告会社の方でしていた。被告人千から小切手に名前を書いてくれといわれれば裏書をしたし、印を押してくれといわれればそのとおり押していた。請求書一綴(符号五八)は嘘の請求をした分の控であり、別に保管していたものである。控のない分は領収書請求書一綴(符号九)の中に含まれている。架空分については請求書の書き方が工事を一括して一枚書いてあるだけで、作業内容を日付ごとに詳しく書いていないので、それだけでも架空ということが分かる。初めの一、二回は請求内容を細かく書いてくれと頼まれ、向うで書いた原稿どおりに詳しく書いて出したことがあるが、その後は被告人千も詳しい請求書を要求しなくなったので、工事内容を詳しく書いたものは出していない。また、架空分については領収書の但書のところに工事名を書いているので、これも見分ける基準になるし、作業明細書二綴(符号五五、五六)に本当の工事分以外は記載していないことからも分かる」旨実に説得力のある供述を展開しており、この供述に沿って小柴の挙示する各証拠物を精査し、かつ、その他の関係帳簿書類等と照らし合わせるならば、小柴建設関係の架空外注費の計上の詳細を見て取るに余りがあるし、小柴建設に小切手の裏書を依頼してあたかも外注費を正当に支払ったかのように仮装していたことも明らかである。架空であることを否定する小柴の公判段階における証言は、全体として極めて曖昧、不自然であり、同人の大蔵事務官に対する昭和四六年八月七日付、同年九月一六日付、同年九月一八日付、同年一〇月一八日付各質問顛末書との対比においても、信用性はない。なかでも、架空とされる工事はいずれも小柴建設が窓口となって下請業者に施工させ、被告会社から口銭をもらっていた旨証言している点は、小柴建設がいくらの金額で他の業者に下請けさせたのか、口銭をいくらもらっていたのか明らかにすることができないばかりか、それらの工事に関して徴されていて当然であるはずの下請業者の請求書、領収書等の関係書類が何一つ存在せず、全くもって不可解であるというほかなく、そのことに関して得心がいく説明がなされていないことをも考え合わせると、やはり措信するに値しない。このように辿ってくると、小柴の証言に符合する被告人千の弁解もまた、信用性を保ち得ず、退けられて然るべきである。被告人千は、小柴建設の請求書、領収書等が存在することをもって架空工事ではないと弁ずるが、それらが正に仮装された書類であるが故に脱税としての非難を受けるのであって、右のように書類が偽証であることを無視したうえでの弁解は、他の争点でも再々提起する被告人千の弁解の際立った特徴であるが、失当である。

(二) 三和土木株式会社関係

所論は、昭和四四年九月期における三和土木に対する外注費三〇万六、四五〇円は架空ではなく、実在の外注費である、というのである。

しかしながら、被告会社では三和土木に対し工事代金一〇〇万円の前渡しをするに当たり、額面一三〇万六、四五〇円の小切手を交付し、その差額三〇万六、四五〇円につき三和土木から返還を受けているのに、右小切手金額そのものを外注費として計上しているのであるから、右差額分は当然にして架空であることは明白である。被告人千は、右返還を受けた差額分は自己が三和土木の経営者中村正一に貸し付けた金員三〇万円及びその利息六、四五〇円の決済として受領したものであると弁解するが、この弁解は、右経緯に携わった三和土木の元経理担当者横山秀雄の証言と照らし合わせてみるとき、採るに足りない。すなわち、右横山は、「被告会社から工事代金一〇〇万円の前受けをするに際し、被告人千から一三〇万円位の請求書を用意しろと指示され、ダンプカーの運送料についての基準に従って算出した一三〇万六、四五〇円の請求書を作成し、これと同額の小切手を受け取った。領収書は当り前のこととして一〇〇万円と記載したのを持参したが、小切手の額面に見合う金額の訂正を被告人千に要求されてこれに応じた。このように被告人千の言いなりにしたのは、三和土木は被告会社の下請で工事をもらわないことには経営を維持していけない立場にあり、三和土木の資金繰りのために被告会社に工事代金の前受けという形で融資を申し込むこと自体弱身であったからである。小切手金額との差額三〇万六、四五〇円は被告人千に返還したが、それは中村正一の被告人千に対する個人的貸借関係の決済ではないので、帳簿上止むなく返金として処理した」旨帳簿上の処理にかなり苦慮した事情も含めて被告人千の不正な手段方法を明確かつ具体的に証言しており、この証言は、中村正一との間に個人貸借が存したと称する点についての被告人千の供述が抽象的で貸付日、利息額等が不明であり、貸付そのものを裏付ける客観的資料が全く見当たらないことからしても、信用性が高く、右弁解は虚偽と断じて差し支えない。加えて、被告人千は、検察官に対し、公判段階とは異なって、三〇万六、四五〇円は灯油の立替金として返してもらったものである旨述べているが、捜査段階から公判段階にかけてのそのような供述の変遷に合理的な理由を見出し難く、この点もまた、右弁解を虚偽と評価する基となる。

(三) ダンプカー運転手関係

所論は、ダンプカー運転手の関係で、昭和四四年九月期に六八万円の架空外注費は存在しない。昭和四五年九月期の架空外注費とされる一〇万四、九〇〇円は同じ期の架空福利厚生費とされる七二万六、三〇〇円に包含され重複している、というのである。

しかしながら、昭和四四年九月期に六八万円の架空外注費が計上されていることは、関係帳簿書類等の客観的資料によって十分に明らかにすることができる。取りあえず、その一例として、特段の事情はないが、小早川清の関係で計上されている架空外注費三〇万円を対象にして少々詳しく説明を試みてみよう。まず、元帳(符号一)の仮払金勘定科目の昭和四三年一〇月二九日の欄をみると、小早川に対し三〇万円の仮払をしていることが認められるが、このことは、振替伝票(符号四)の右と同じ日の分の二行目の記載によっても明らかであり、また、その記載によれば右仮払は支払手形でなされたことを知り得る。次いで、右仮払金の決済関係が帳簿上どのように処理されているかを探るに、被告会社における運転手に対する支払関係は毎月二〇日締めの翌月二〇日払いで、その支払の際仮払金や立替金相当額を差し引いており、右三〇万円も昭和四三年一〇月締めで小早川に支払うべき外注費六一万二、七四〇円から他の立替金と合わせて差し引かれていることが分かる。すなわち、小早川の同年一〇月分の工事高は、車両請求書綴(符号二六)の中の小早川作成の同年一〇月二一日付請求書三通によって確認することができ、これを整理集計すると、六一万二、七四〇円になることは支払集計帳(符号三)によって明らかである。そして、右の支払集計帳によると、右工事高のうち小早川に現実に支払われたのは二〇万六、八五六円であって、そこには四〇万五、八八四円の差額があり、その分について右工事高から差引があったことを推認するに十分であるが、それが間違いないものとしての確証を得るために、更に客観的資料を漁っていくと、被告会社が小早川の右工事高から差し引くべきものとして、燃料費等の立替金があることが判明する。これを個別に示すに、清水登春作成の上申書によれば大豊興産に対する燃料費七万九、一八四円、領収書請求書綴(符号一二)の中の水島重機整備工場作成の同年一〇月二〇日付請求書(No.0182)によれば同工場に対する修繕費七、五〇〇円、領収書請求書綴(符号八三)の中の大本照男作成の同年一一月五日付請求書の一枚目によれば同人に支払をなすべき下宿代一万九、二〇〇円があり、これらの各立替金と仮払金三〇万円を合わせてみると、四〇万五、八八四円になり、これが正に右差額分に合致し、現実に差し引かれていることがはっきりしている。そのことを、更に客観的資料に基づいてひっくり返していうと、車両集計表(符号二三)の中に小早川の一〇月分の外注費から引き去った右各立替先と金額が下宿代を除いて明瞭に記載され、また、仮払金三〇万円については支払手形の分と明記されていることからも、十分に証明することができる。このように、関係帳簿書類等を二重、三重に読み取っていくと、被告会社では小早川に対する一〇月分の外注費六一万二、七四〇円のうちから仮払金三〇万円を差し引いて支払っておきながら、その振替処理を行うことなく、かつまた、領収書請求書綴(符号一三)の中の小早川作成の同年一一月二〇日付の領収書によれば、小早川から工事高に見合う金額の領収書を徴していることが認められるが、このように敢えて偽装工作を施したうえ、仮払金三〇万円を含めた額そのものを外注費として計上していた事実が如実に浮び上がってくるのである。そうとすれば、外注費六一万二、七四〇円から差し引いた仮払金三〇万円に相当する差額三〇万円を正当な外注費に上乗せして計上した結果になり、この分が架空外注費と評価されることはいうまでもない。右のような帳簿処理が正当だとする被告人千の弁解は会計上全く根拠がないものである。また、被告人千は、小早川の仮払金三〇万円は昭和四四年九月二〇日締めの工事高と相殺して残額三五万八、七七九円を未払外注費として翌期に繰り越していると弁解するが、右繰越額は総勘定元帳(符号二)及び振替伝票(符号五)に記帳されている小早川関係の未払金の繰越額とが金額の点で一致しないばかりか、そもそも右のような相殺の事実を認めるに足りる客観的資料は一切存在せず、返って、小早川作成の上申書によればそのような相殺の事実など存しなかったことが明らかに認められるのであって、右弁解もまた真実に反することになる。以上、小早川関係の架空外注費三〇万円を的にして客観的資料に基づきそれが架空である理由を説明してきたが、そのほかの運転手に関する昭和四四年九月期の各架空外注費についても、小早川関係と同様に客観的資料を逐一検討することによって優に確定することができるので、その一つ一つについての検討の結果をここでるる述べることを省き、これらのことをたやすく知り得る方法として、右検討の結果によっても、台信忠の証言によってもその正確性を保障し得る同人ほか一名作成にかかる調査事績報告書が存するに止めたい。ただ、右以外に、被告人千が提起する若干の事柄について少しく触れておくに、昭和四三年一〇月において香月守に対する仮払金五万円及び中垣景直に対する仮払金五万円は元帳に記載がなく、相殺すべき仮払金がない以上、同人らの分について架空外注費が発生する余地がないとする点はもっとものようにみえるが、それは元帳に記帳がないというだけのことであって、実際には右各仮払金は存在したというべきである。なぜならば、車両集計表(符号二三)によれば、右各仮払金相当額が当月分締めの工事高と相殺勘定がなされているからである。また、被告人千が、坪田登美男に対する同年一〇月二一日の同人の妻名義の仮払金四万円は当月分締めの工事高と相殺勘定がなされていないと指摘する点も、精算書綴(符号六三)の中の当月分の同年一一月二〇日付精算書(No.2)の控除明細欄をみると、右仮払金四万円は明らかに差し引かれており、問題はない。

以上に加えて昭和四五年九月期における運転手関係の架空外注費一〇万四、九〇〇円が同じ期に計上されている架空福利厚生費七二万六、三〇〇円と重複しているものでないことは、証拠上それらを別々の数値として算出し得ることからして、多言を要しない。所論は、残念ながら、具体的な論拠を欠いている。

(四) 岡本虎雄関係

所論は、昭和四四年九月期に岡本虎雄の関係で三七万円の架空外注費を計上したのは、経理担当者が現金の不足分の帳尻を合わせるためにした単なる帳簿上の誤った処理にすぎない、というのである。

しかしながら、そもそも経理担当者がそのような経理をすること自体故意による不正経理と目すべきであるが、そのことはさておいても、当の経理担当者である岡本祐二郎が、検察官に対し、「被告人千から自宅の方で持っている金がなくなったので都合してくれと言われ、自己の父岡本虎雄名義で架空の領収書を作成したうえ、これに見合う現金三七万円を被告人千に交付した」旨供述しているところであってみれば、右架空計上が故意になされたことは疑うべくもなく、単なる帳簿上の誤った処理であるとはどうしても容認できない。被告人千は経理担当者に経理の知識が乏しかったため右のごとき誤った処理になったと弁解するが、長年経理関係の職務に携わった経歴を有し、被告人千がいわば他社から引き抜いたともいえる岡本がそのような笑止ともいうべき過ちを犯したとはおよそ考えられない。

(五) 松浪組関係

所論は、昭和四五年九月期に松浪組の関係で五一五万八、六三〇円の外注費を計上したのは、被告会社が被告人千個人に支払うべき右と同額の山土代金を松浪組を通して支払ったように単なる帳簿上の操作をしたにすぎない、というのである。

しかしながら、被告会社が本当に被告人千個人に支払うべき山土代金があるのであれば、直接被告人千個人にその支払をなしたうえ、帳簿上もその旨の処理をすれば足りるはずであって、何故迂遠にも松浪組に対する外注費の支払として帳簿上の操作を経る必要があったのか、所論は前提の点でまずもって理解に苦しむといわざるを得ない。被告人千は、この点につき、山土代金を自己が代表者である被告会社に直接請求して支払を受けるとなれば、経理上不明確な点が発生することが懸念されたため、松浪組に依頼して右代金の請求と受領をしてもらい、更に自己において松浪組からその交付を受けたと弁解するが、被告人千個人と被告会社との間には何回かにわたって山土の取引が存し、それらはすべて帳簿上明らかにされ、両者の直接取引として記帳されているのに、いかなる理由で右取引のみが殊更に経理上の懸念があったというのであろうか。右弁解は限りなく疑わしく、道理に合うものではない。このことは、とりもなおさず、被告人千個人と被告会社との間に右取引がなかったことをうかがうに十分であるといってよい。現に、右代金に見合う山土の取引の事実は帳簿上どこにも記載がなく、被告人千個人が被告会社から支払を受けるべき右のごとき山土代金が存在したとは認められないのである。そうとすれば、被告人千の弁解は前提の点で既に正当性を失っているというほかはない。こうしてみると、松浪組の関係で計上されている外注費が架空であることは、やんぬるかな、右の説示から自ずと明瞭である。そしてまた、この点については、松浪組の経営者松浪節雄が、「被告人千からちょっと要るのでと依頼され、実際には被告会社との間に山土の取引がないのに、山土納入代金として被告人千の指示どおりの金額で四八七万九、四五〇円と二七万九、一八〇円の領収書二枚を切った。被告会社が国税局の査察を受けるやまたも被告人千の依頼で右架空の領収書二枚の合計額に見合う請求書一枚を書いた。右請求書を古くみせるためにもみくしゃにした記憶がある」旨はっきりとその間の経過を生々しく証言しているほか、被告人千の検察官に対する詳細かつ具体的な自白が存することからも動かし難い事実であるので、最早これ以上詳しく触れることを避けたい。

三  架空給料手当について

所論は、坪田登美男に対する給料手当として計上している昭和四四年九月期の六〇万円及び昭和四五年九月期の六五万円は架空ではなく、真実の給料手当である、というのである。

しかしながら、右各給料手当の計上が架空であることは、坪田登美男が、上申書の中で、「被告会社からはタンプカーによる作業収入以外に給料等を受け取ったことはありません」ときっぱり言い切っており、これに加え、被告人千が、大蔵事務官に対し、「外注先であるダンプカーの運転手坪田登美男の関係で月月架空の給料等を計上していた。このようにしたのは、坪田とは付き合いが長く、仕事も良くやってくれることと、運転手の場合労災や社会保険がなく、いわゆる危険に対する保障がないので、坪田に毎月名目上の給料手当を出して保険を掛ければ保障がかなうと考えたことによる。この便法による不正経理は自己が岡本に命じて行ったが、運転資金を蓄えることが先走ってしまった」旨具体的かつ詳細に語り、岡本祐二郎もこれを裏付ける供述を検察官に提供していることに徴し、明白である。被告人千は、被告会社と坪田との間には請負契約のほか毎月五万円の給料による雇用契約があり、この給料は社会保険料等を控除した残額を自動車事故などの負担に備えて被告人千個人に預託していたものであると弁解するが、そのような雇用型態が存するとはおよそ常識的に考えられないところ、やはり当然のこととして、この弁解を裏付ける証拠はないし、右に掲げた各証拠の内容と対比しても、とうてい採用し得るものではない。右弁解は、計画的に行われた不正経理の手段方法を正当化しようとする方便にすぎない。

四  架空福利厚生費について

所論は、昭和四四年九月期の架空福利厚生費とされる一四三万三、三六〇円は九〇万七、二三〇円が正当で、五二万六、一三〇円過大である、昭和四五年九月期の架空福利厚生費とされる七二万六、三〇〇円は六八万三、四〇〇円が正当で、四万二、九〇〇円過大である。右各期の架空分は単なる帳簿上の誤った処理にすぎない、というのである。

しかしながら、被告会社はダンプカーの運転手の下宿代を立替払し、運転手に外注費を支払う際下宿代を差し引いておきながら、これを被告会社が負担したように福利厚生費に計上していたことは証拠上揺ぎない。被告人千は、大本照男に支払った下宿代総額を算出し、金沢重機や寺川惣太らの下宿代を被告会社が負担していたとして、その分が過大であると弁解の当否の判断に先立って、誤解を招かないために予め補足しておきたいことがある。それは、右各期の架空福利厚生費計上額は、被告会社が支払った下宿代の総額を指すものではなく、立て替えた下宿代を外注費から差し引いていることを証拠上確定できる分に限定しているということである。例えば、領収書請求書綴(符号八三)の中の大本照男作成の昭和四三年一一月五日付請求書及び同月二八日付領収書によれば、被告会社は吉田務の同年一〇月中の三日分の下宿代一、八〇〇円を立て替えて払っていることが認められるが、右吉田の下宿代が外注費から差し引かれているのか否かは証拠上不明であるため、右下宿代は架空分に計上していない。そのうえで、右弁解に検討を加えるに、ダンプカーの運転手は自分の車を持ち込んで土を運ぶ自家営業等の業者であり、被告会社はその出来高に応じで代金を支払えば足りるはずであって、そのような業者の下宿代を被告会社が負担するというのは社会通念上考え難いことである。そもそも、被告会社が運転手の下宿代にしろ、修繕費や燃料費にしろ立替払をしていたのは、運転手は一匹狼が多く社会的信用がないことによるのであって、下宿先等に迷惑を掛けないためには被告会社が立替払をしてこれを出来高から差し引いて精算するのが最も安全な方法であったからこそである。ましてや、各ダンプカーの運転手との契約は単価等の点で同一であるのに、ある運転手については自己負担で被告会社が立替払をするが、ある運転手については被告会社の負担であったというのは実に馬鹿げた話である。もっとも、賃金台帳(符号六五)によると、寺川惣太は被告会社の従業員であったようではあるが、これとて変りがあるはずはない。ちなみに、大本作成の前記請求書及び領収書によれば、被告会社は寺川惣太の昭和四三年一〇月分の下宿代三万八、四〇〇円の支払をなしているところ、右下宿代には同人の客の二日分の費用が含まれているのであるが、そのようなものまで被告会社が負担していたというのは納得しかねる。それでもなお、金沢重機や寺川惣太らについては被告会社の負担であったと弁ずるのであれば、止むを得ない、客観的資料によってこれを明かそう。以下、ほんの具体的な例示として、車両集計表(符号二三)の中の各控除明細表に依拠するのであるが、昭和四三年一二月二〇日締めの控除明細表では金沢重機の当月分の下宿代三万九、〇〇〇円が引き去られていることが明らかに分かる。昭和四四年一月二〇日締めの分では金沢重機の当月分の下宿代一万七、七〇〇円が引き去られているうえ、寺川惣太の当月分の下宿代三万八、四〇〇円が運転手の分に加える旨付記し、当月分の下宿代の合計額が大本の請求金額どおり一〇万三、七〇〇円であることを正確に記載している。同年二月二〇日締めの分では金沢重機の当月分の下宿代一万八、三〇〇円のほか、被告人千が被告会社の負担であったと弁解する三好組の当月分の下宿代八、四五〇円が引き去られており、当月分の下宿代の合計額が大本の請求金額と同じ一五万一、五五〇円になっている。同年三月二〇日締めの分では寺川惣太の当月分の下宿代三万七、二〇〇円が引き去られており、当月分の下宿代の合計額が大本の請求金額一二万九、〇三〇円に見合うように明記されている。同年四月二〇日締めの分では三好組及び寺川惣太の当月分の各下宿代が大本の請求金額のとおり引き去られており、合計額の記載も右と同様である。右のように列挙するならば、被告人千の弁解がいかに理に適わないかは歴然としている。このようにして、右各期の架空福利厚生費が過大計上でないことは客観的資料によって十分に是認することができるのである。また、右各架空福利厚生費の計上が意図的になされた不正経理であることは、岡本祐二郎が検察官に対し架空の福利厚生費などを計上していた経緯を具体的に述べており、被告人千もまた大蔵事務官及び検察官に対し右のような架空計上を岡本に実行させた事実をはっきりと明かしていることに徴すれば、疑いがない。

五、架空修繕費・燃料費について

所論は、昭和四四年九月期の架空修繕費とされる四八六万七、五四六円は四八六万四、四七一円が正当で、三、〇七五円過大である、同じ期の架空燃料費とされる七三三万三、四四二円は過大である、昭和四五年九月期の架空修繕費とされる三一六万〇、九〇二円は二七七万一、〇七一円が正当で、三八万九、八三一円過大である、同じ期の架空燃料費とされる三九三万九、三二六円は過大である、右各期の架空分は単なる帳簿上の誤った処理にすぎない、というのである。

しかしながら、右各期の架空修繕費等が過大でないことは関係帳簿書類等の客観的資料によって十分に立証することができる。そのことを確証するために、被告人千が否認しているもののうち昭和四四年九月期に吉村松男の関係で計上されている架空修繕費・燃料費を一つの例にとってみたいと思う。まず、吉村の昭和四三年一〇月分の工事高は、車両請求書綴(符号二六)の中の吉村建材作成名義の同年一〇月二〇日付請求書二通によって分かるところ(吉村松男と吉村建材が同一人物であることは車両番号が五六-一三であることから確認することができる)、これを集計すると一七万九、七九〇円であることは支払集計帳(符号三)の記載によって明瞭である。そして、右の支払集計帳によると、吉村には右工事高から七、五二六円を差し引いて支払っていることが認められる。次いで、右控除額の明細を調べてみると、車両集計表(符号二三)の中の同年一〇月二〇日締めの引去表によれば、藤原石油の立替燃料費五、三七六円、野瀬ゴムの立替修繕費一、六五〇円、水島タイヤの立替修繕費五〇〇円であり、その合計七、五二六円は右支払集計帳の差引額とぴったり一致する。更に、右各立替金額が実際に間違いないかを検討するに、藤原石油の分については、山村俊一作成の上申書添付の同年一〇月二〇日付の請求書写によれば、吉村の燃料費五、三七六円の請求がなされていることによって肯認できるし、野瀬ゴムの修繕費一、六五〇円については、野瀬茂作成の上申書添付の取引明細表の同年一〇月二〇日締めの欄に明記されており、水島タイヤの修繕費については、領収書請求書綴(符号一二)の中の水島タイヤ工業作成の同年一〇月二〇日付の請求書に同月一九日のキャンパスの入替分として五〇〇円が掲げられていることから明らかである。このように、客観的資料に基づいてダンプカー運転手の立替修繕費・燃料費をつぶさに調査した結果によれば、右各期の架空修繕費等が過大計上でないことは動かし難く、他にこれを左右するに足りる証拠も存しないので、これ以上個々の運転手の分について言及することを控えたい。ところで、被告人千は、架空計上を自認する分について、被告会社では運転手の修繕費等を中継払とし、運転手の預り金から支払っていたもので、経理担当者が十分な記帳をしなかったため、誤って修繕費等に混入して決算したにすぎないと弁解するが、岡本祐二郎が検察官に対し修繕費等にかかる不正経理の方法を具体的に供述していることからして、故意による不正経理であることは紛れもなく、右弁解は採用の限りでない。

六  受取利息の除外について

所論は、昭和四四年九月期に除外したとされる受取利息一三六万七、四〇二円及び昭和四五年九月期に除外したとされる受取利息二一一万一、五七四円は被告人千個人の預金から発生したものである、というのである。

しかしながら、右各受取利息は、昭和四四年九月期は口数にして四六口、元本が四、六〇〇万円、昭和四五年九月期は口数にして四四口、元本が五、一〇四万六、七五〇円にものぼる仮名預金から生じたものであるが、このように多数かつ多額の仮名預金が存すること自体不正をうかがうに十分であるところ、果せるかな、被告人千は、大蔵事務官に対し、「仮名預金は被告会社の不正経理によってできた」旨明言し、検察官に対しても、「不正をして抜き取った金を仮名や無記名で預金しており、その額は四、〇〇〇万円から四、五〇〇万円あったと思う」旨不正を是認しているところであって、それらが被告人千個人の預金による利息とは認められず、被告会社に帰属することは明らかである。のみならず、これをより客観的に眺めるに、注人税決議書(符号六二)によると、被告会社は被告人千個人が法人成りしたもので、設立されたのは昭和四一年一二月二四日であるが、それ以前の同年一一月二一日から右法人成りするまでに既に法人帳簿による会計処理がなされており、右の時点から事実上被告会社としての活動を関始していたことが認められるところ、大蔵事務官作成の「預金等調査表の送付について」と題する書面添付の調査事績報告書によれば、昭和四二年九月期に預け入れた仮名預金は一、六五〇万円で、その後の増加額は、昭和四三年九月期が一、〇五〇万円、昭和四四年九月期が一、九〇〇万円、昭和四五年九月期が六〇四万六、七五〇円であり、しかも、その預け入れ状況は、被告会社の設立当日に中国銀行水島支店に鳥越基吉名義の定期預金一〇〇万円をなしたのをはじめとして、それ以降昭和四五年八月に至るまでの間、右支店のほか広島相互銀行倉敷支店、信用組合岡山商銀、富士銀行倉敷支店に対し、主として定期預金でほぼ一か月置きにその大部分が一口一〇〇万円単位で新規の仮名預金を続けていることが明らかであり、右の事実に徴するときは、被告人千は被告会社の営業活動による利益の一部を定期的かつ継続的に蓄積していたことは疑うべくもない。このことは、被告会社の設立後被告人千において会社経営のほかに個人営業をしていた形跡が全くなく、したがってまた、個人営業による所得が存在しないことからも、首肯することができる。被告人千は、仮名預金の出所につき事細く説明を試みているが、とうてい承知し得るものではない。なんとなれば、例えば、昭和四一年一二月二八日中国銀行水島支店に預けた藤田喜美夫名義の預金一〇〇万円は、被告会社の設立以前に広島相互銀行倉敷支店に入れてある竹内明子名義の仮名預金五〇万円及び三宅洋子名義の仮名預金五〇万円を解約して充てたと説明する。確かに、同支店長作成の証明書によると、同年一〇月二二日右各預金合計一〇〇万円が解約されていることは動かし難い事実である。とはいえ、右解約の日から藤田喜美夫名義で預金する同月二八日まで数日間を経過していることもまた動かし難い事実であって、その間、被告人千はいずれにしてもまたもや仮名預金にしている右解約の一〇〇万円をもったいなくも現金のまま手元に止めておいたというのであろうか。これは単にあしらって物を言っているのではない。そのことを示すために、もう一つ、それどころではなく、あからさまで不自然な例を挙げてみよう。中村次郎個人普通預金口座元帳写(符号九七)によると、被告人千は昭和四一年一〇月二〇日自己の口座から一五〇万円を引き出していることが認められるところ、被告人千の説明するところによれば、右一五〇万円のうち一〇〇万円を昭和四二年一月二八日中国銀行水島支店の中野義一名義の預金一〇〇万円に廻し、残り五〇万円を同年二月二三日同支店の古家野茂名義の預金一〇〇万円の半額分に充てたというのである。だが、仮名預金をするためにどうしてまたわざわざ三、四か月以上も前に自己の口座から一五〇万円もの現金を引き出しておく必要があったというのであろうか。その間の事情はなんとしても不自然であり、不透明である。このことは、鹿島建設に売却した山土の代金として受領した小切手を現金化して仮名預金にしたと説明している点などについても、共通して言い得るところである。右のような弁解は、これまでの判断の中では敢えて伏せておいたが、被告人千特有の数字のもてあそびにすぎず、真実性はないというべく、採用するに値しない。なお、被告会社の設立当日に預け入れた鳥越基吉名義の定期預金一〇〇万円の受取利息が被告会社に帰属すると認めることに障害はない。

七  山土の損金計上もれについて

所論は、被告会社設立当時被告人千が被告会社へ引き継いだ王島山の切土少なくとも三〇万立米のうち、昭和四四年九月期の使用土量一七万八、九五七立米につき三、二二一万二、二六〇円、昭和四五年九月期の使用土量八万一、六〇〇立米につき一、四六八万八、〇〇〇円、同じく被告人千が被告会社へ引き継いだ連島町字家の上の山土のうち、昭和四四年九月期の使用土量六万八、四〇〇立米につき四三〇万九、二〇〇円、昭和四五年九月期の使用土量五万八、二〇〇立米につき三六六万六、六〇〇円の各損金の計上もれがある、というのである。

しかしながら、王島山の切土については、被告人千から被告会社への引継がなく、被告人千の所有する山土としてその都度被告会社へ売却されていることは被告人千の大蔵事務官に対する供述によっても、岡本祐二郎の検察官に対する供述によっても明らかであって、所論は引継があったとする点でまずもって失当である。のみならず、被告人千から被告会社に売却された昭和四四年九月期における王島山の山土代については、同年六月三〇日四〇〇万円、同年九月二八日四七〇万円、同年九月三〇日三、〇〇〇万円の合計三、八七〇万円、昭和四五年九月期の分については、同年七月二三日二五七万八、二〇〇円、同年九月三〇日一、四〇〇万円の合計一、六五七万八、二〇〇円が計上されていることが証拠上明らかであり、それ以外にもれがないことは被告人千らの供述によって十分に認めることができる。すなわち、被告人千は、大蔵事務官に対し、「自己が山土代を被告会社から受け入れる時期は、被告会社の資金繰りの関係から分割して払ってもらった。要するに、山土代は取れるときに取ったというのが実情である。山土の仕入れは昭和四三年九月期以前についてはもれがあるかもしれないが、昭和四四年九月期、昭和四五年九月期についてはすべて帳面にのっており、落ちているものはない」旨明確に認めており、岡本祐二郎もまた、検察官に対し、「被告人千個人が被告会社に納入した山土の数量を水増計上するとか、特に計上もれをするというようなことはしていない」旨被告会社に不公平のない真面目な供述をしており、これらの供述は、仕入れの計上もれがあってそれが多額であればあるほど所得金額に大きく影響を及ぼし、これを損金に計上しないことは被告会社に不利益であるだけに、内容的に極めて信用性が高く、王島山の山土につき計上もれがなかったことに疑いを抱くべき余地はない。また、被告人千は大蔵事務官に対し非常に価値のある供述をしているが、それによると、右各期における王島山の山土の売却については、会計処理上体裁を整えるためであったとはいえ、被告人千と被告会社との間に売買契約書が作成され、現に昭和四四年九月期の分については三回にわたる取引の契約書が存在し、その合計額は三、八七〇万円であり、帳簿上の前記計上額と一致していることが認められる。このように、売買契約書まで作成しているにもかかわらず、昭和四四年九月期にはなお売買契約書され作成されていない三、二二一万二、二六〇円もの計上もれがあったというのは合点がいかない。真に存在したものであれば、売買契約書の作成があっておかしくなく、失念するほどの金額でもなかろうにと思うのである。しかも、被告人千の大蔵事務官に対する供述によれば、王島山は昭和四〇年ころ鹿島建設から無償返還してもらった時点では岩盤が露出するような状態であり、工事量が少なかったこともあってほとんど外注に頼っており、昭和四三年暮れころから火薬使用許可が下りて本格的に採土を始めたが、それまでは鹿島建設の重機等を現場に置いていたこともあり、被告会社が採土することはできなかったというのであって、そのような岩盤地で、採土を始めた時期からみても、昭和四四年九月期において帳簿計上額に加えて更にその八割以上にも当たる簿外の採土量があったというのはにわかに措信し得ず、また、被告会社が王島山で本格的に採土を始めたのが昭年四三年暮れころというのであれば、王島山からは昭和四二年九月期に二万立米、昭和四三年九月期に五万〇、五二九立米の使用土量の帳簿もれがあったとする被告人千の弁解も、他に客観的資料がない限り、根拠を失う結果となろう。王島山の山土につき計上もれがあったとは認められない所以である。

連島町字家の上の山土の計上もれの点については、被告人千は捜査段階で一切触れておらず、公判段階で突如持ち出された事柄であるが、これを確認する手立てとなる客観的資料はなんら存在しないので、失当である。

第三結論

以上、弁護人らの主張のうち主要と思われる点につき理由がないことを示してきたが、その余の法律関係についての主張は独自の考えに基づくものであり、また、その余の事実関係についての主張も多くが客観的に欠けており、いずれも採用することができない。

(法令の適用)

被告人千の判示各所為は、行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては右改正後の法人税法一五九条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑に従うべきところ、被告人千は被告会社の代表者であって、被告会社の業務に関して判示の各違反行為をしたものであるから、被告会社につき右改正前の法人税法一六四条一項、一五九条一項を適用することとし、被告人千につき各所定刑中懲役刑を選択し、以上はいずれも刑法四五条前段の併合罪であるので、被告会社については、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で罰金四〇〇万円に、被告人千については、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で懲役八月にそれぞれ処し、被告人千に対し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。差戻前第一審、控訴審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告会社と被告人千に連帯して負担させる。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木正義)

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